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2007年5月 3日 (木)

決別ではないですね、受け入れるって事。

※このブログ至上、一番硬くて、つまらなくて、意味不明な文章と思われるので、悪しからず。。

縁は異なもの味なものというけれど、それは男女の間だけ、更に言えば、人間の間だけに限らず、「縁」の持つ力は計り知れないという事をあらゆる出来事からひしひしと感じた一ヶ月。そんなの知ってらぁって気持ちだったんだけどなぁ。甘い甘い。

すべてをここに書き出してしまいたい。私のために。ただ、やっぱりここで全部を語るには、私の・・大げさに言ってみれば、「心の旅」とでも言えばいいのか、それを公衆に向かって吐露しなくてはいけなく、それはあまりにもきつい。だから、ここではその旅から帰ってきて思ったことを、一部、後先は考えないで書き出してみようと思う。私のために。一部書いておけば、他の事は思い出すだろう(笑)

こんなことを19歳と約二ヶ月経った自分はやっていたんだという事を形に残しておきたい。(自分に自信が無いからこんなことするんだろうなぁと、時々変に客観視する自分が居て、また妙な感じ。)

これは、至極、私的なものであるから、つまり、主題はない。ここで何を伝えたいなどという文章ではない。

私以外のこの文章を目にしてしまった人にはまるで無益かもしれないけれど、最もぶっきらぼうな言い方をすると、人の益・不益を考えてこのブログをはじめたわけではないから、少しばかり許して欲しいと思います。文体もごちゃごちゃするでしょう、先に謝っておきます、すみません。

*

まぁ、心の旅なんて、ほんっと大層な事をくっちゃべっているが、中身は決して大げさなことではない。

たまたま母方と父方両方の祖父母(母方は祖母だけだけど)に、自分から会いに行く機会がここ2ヶ月に集中して、それぞれの過去の話や父と母の過去の話を聞く機会に今までで一番恵まれた。(自分から、というのが大きかったと思うな。)

それがきっかけで、「過去と今のつながり」に思いをめぐらせていたら、自分のそれについても確認したくなって。まぁ、自分の心に「あれってさぁ、どうだったっけ?」と過去を尋ねただけ。最初のほうでこんな若いのに、自分何してるんだろう、後ろ向きだなぁ、おぃって思ったけど、いや、そういう自分もいるってことだよ、この状況が終わってから、ピチピチ若くなればいいさと思って(というかやめたくなくて割り切った)、一ヶ月。

なんで過去をこんなにも確認したくなったのかわからなかった。もちろんきっかけはあったけど、結局は始めてしまったからやってしまいたいという、私の気質から来る感情でやり続けているだけで、本当のところ、自発的な事にも関わらず、意味は無いのではとさえ思われた。

でも、やめなくて正解だったと思う。私は「縁」でできていると、心の底からハッとできた。この体の中の血肉から、涙から、まなざしから何まで。

この世界全部がそうなんだろうけど。この「ハッ」が大事だったんだと思う。「縁」は当たり前のもののようでいて、「私」と「何か」のどちらかが動かないと(それが無意識・偶然の内であっても)成立はしない、偶然とも必然ともいえない、とっても貴重なものなんだろう、と考えた(みなさんの意見は知りません、第一そんな話をしたことのある人は未だいません(笑))。

そんな不安定な(私にとっては、だが。)ものだから、大事にしていなくては、いとも簡単にその濃度は薄まる。すると、私は必然的に、細胞がほかの器官との連絡を断ち切られると機能していかなくなるように、立ち止まってしまう。私は縁を成立する術をまた探さなければならない。

だから最近の私は、その術を探しに、過去を振り返ったんだろうと、今、思う。

気づけば、周りから縁という名の糸の端っこを差し出してくれるのを待っていた。

自分から差し出すのが怖かったのか。そうかもしれない。

糸の端をちらつかせては引っ込めて、それに気づいてもらえなければ諦め、タイミングよく掴んで貰えればほっと胸をなでおろしていたかも。

そのくせ、繋がると縁の端から侵食されるような勘違いを覚えていたような。だから、繋がったと思えば、いつの間にか離していたかも。

最近、その自分は影を潜めて、というかその影は薄まってきたんでしょう、少しずつ少しずつそれに気づくまでのステップを踏んでいたのだろう。

そして、完全に気づいてしまった。そして、そんな不器用な自分にはうんざりだ。でも、決別、とまでは無理。自分が自分である以上、過去も今も無い。私は私で、死ぬまでいつでもその存在に変わりは無い。

ならば、せめて、今を生きる。過去を諦め、今でさえ諦めるような変な感情連鎖は断ち切らねば。今を信じないで、いつを信じて生きればいいのだ。

今を信じる人をうらやむのはやめる。うらやましいなら、自分もやってみるだけのこと。

*

生きとし生けるものは、縁で始まり、縁で終わるのではないか。

それが、果たして正論なのか、自分でもまだわからないけれど、

まぁ、私の中で確かなものとしたい。

そして、それが本当に確かなら、生きるとは縁であると言い換えられる。

ならば、やはり、縁を大事にするほか、無い。

そして、特に、今回のような、今と過去と未来の自分とを自由自在につないでくれる、「考える」という名の「縁」も大事にしようと思う。

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